Dealer’s Document

時代を読んだからこそ、時代が後押ししてくれた

廃墟と化した富山市街を見て、計測ビジネスを思い立つ

羽田発のANA機は約1時間後、着陸態勢にはいる旨のアナウンスを終えると機首をぐいっと下げ、真綿のような雲海に突っ込んでいった。
と、ほどなくすると、蛇行する神通川
とうっすらと雪化粧した富山の市街が眼下に広がる。
富山空港では、金沢から車で1時間ほどかけて来たと言う北陸営業所の大中俊樹所長と地区担当の金子輝夫営業主任の出迎えを受ける。

堀江商会に向かう道すがら、意外に雪が少ないことを問うと、「暖冬で、この2、3年はこんなもんです。いつもなら1メートルくらい積もるんですよ」と金子さん。
やがて20分ほどで、屋上に気象観測塔を備え、“軍艦”を模したというなんともユニークな発送から生まれた本社社屋に到着。
昭和22年創業の堀江商会は、精密機械、計測機器、環境測定機販売を営業内容とし北陸ではその名を広く知られている存在。創業社長で、今年9月には70歳になられるという堀江秀雄氏は、痩身にブレザーのよく似合うダンディな雰囲気を漂わせ、にこやかに迎えてくれた。
堀江社長は昭和17年には海軍に入隊し上海、台湾、香港、南支那海方面を転戦後、21年秋に外地より帰還する。
20年8月1日の空襲で廃墟と化した富山市街を目の当たりにし、しばし呆然自失。
が、「焼け野原を復興するためには、まず測量が必要」と、服部時計店、玉屋商店、東京光学から計測器などを仕入れて、度量衡機器販売に乗り出す。これが当たった。
「あの時代は、金があっても品物が無かったから、仕入れた物は飛ぶように売れたものです」と、往時を懐かしげに振り返る堀江社長だ。
「教えてくれ」の経営信条が、顧客拡大を呼ぶさらに、堀江社長の読みをどんと後押しするかのように、27年から31年にかけては電源開発が起こり、北陸電力の有峰ダム、関西電力の黒四ダム、それに東北電力の姫川開発などの開発事業矢継ぎ早に続くのである。「北陸から上越にいたるまで、水資源調査、測量、気象、ダム埋設のための機器をほとんど1社で手掛け」て、それが今日の堀江商会の基礎を築くことになった。

わけても、世紀の事業といわれた黒四ダム建設当時のことは思い出深く、かつて故・石原裕次郎主演で映画化された「黒部の太陽」などは「何回も観ましたよ」と堀江社長。
言ってみれば、戦後の北陸の電力史とともに歩んだ堀江社長であり、堀江商会なのだ。

現在、同社の扱い品目は優に千種を越え、“計る”ための機械・機器にはすべて対応できると堀江社長は胸を張る。「教えてくれ」の心をいつも忘れるべきではないと堀江社長はいう。
「新商品が出て、それをお得意先の3人の技術屋さんに見てもらうとします。そのとき、機種選定に2人が反対して1人が賛成したら、必ず商売になる」反対する人ほど機械の善し悪しを知っており、彼のもとに何回も通って悪い所をどんど
ん教えてもらう。そのことがやがて、ビジネスにと通じるのだという。

「死ぬまで教えてくれですよ」
MUTOHとの付き合いは「武藤目盛彫刻」時代からで、古くはドラフター、それに近年はCADでと、かれこれ40年ほどになる。「私はトップメーカーとの付き合いは長い。いい商品を扱わないと、会社の信用がつきませんからね」
社員に対しては「モノを売るより、まず自分を売れ」、「いやな仕事は真っ先にやれ」が口癖。そんな堀江社長は会社創設以来、社員の6割以上の媒酌人を務めており、社員は我が子も同然。そのためか、50代の古参社員をして「いまだに社長は、私を子供扱いしている」と言わしめているとか。
中国人留学生には“日本のお父さん”的な存在

世話好きは、なにも社員にとどまるわけではない。夫人が上海生まれで、自身も海軍時代は上海に駐留したという機縁から、中国人留学生を熱心に世話していることでも知られている。富山大学などの留学生を旧暦の正月には自宅に招くなど物心両面で彼らの支えとなり、いまや堀江社長宅は、中国人留学生の立ち寄りルートと化しているという。
ところで、この9月に70歳を迎える大正生まれの堀江社長。ご多分にもれず、後継問題が気になるところ。もちろん、誰にではなく、いつかだが。子息・宏充氏(副社長)は大学卒業後、帝王学の一環として他社で修業すること4年、堀江商会入社後すでに10年。いつとは明らかにしないが、「息子には、やりたいことを思いっきりさせる」という
口調から、バトンタッチへの機は熟したと読んだが、さて。
取材中、社長室に気になるものが2つあった。後で、大中所長に聞いたところ、それは、ひとつは黄綬褒章受賞(昭和60年)通産大臣・県知事功労の賞状であり、ひとつは皇太子(現・天皇)、美智子妃殿下が昭和58年に育樹祭にご臨席の折、特別製作し献上されたという、樹木の直径を計る“輪尺”というものだという。いずれも堀江社長のこれまでの歴史を物語るものである。